私たちは小さい頃、「悪いことをしたら謝りましょう」と教えられて育ってきたはずです。でも、大人になるとどうでしょうか?
物を壊してしまったとき、迷惑をかけてしまったとき、多くの人は「すみません」と言えます。
けれど、相手の心を傷つけたときに、きちんと「ごめんなさい」と言える人は、実はとても少ないと感じています。
誰かが何気ない一言で深く傷ついても、それを伝えたときに返ってくるのは「そんなつもりじゃなかった」や「それ、気にしすぎじゃない?」といった言葉。
言葉の暴力に傷ついた人に、「お前が弱いだけだろ」と言い返す人もいます。
でも本当にそうでしょうか? 傷ついたと感じたことは「事実」です。感じ方に正解も不正解もありません。
だからこそ、心を傷つけたことに対してきちんと「ごめんなさい」と言えることが、今の社会に必要なのだと思います。
「謝れない」ことが心をすり減らす
「謝れない人」は、時に強く、堂々として見えるかもしれません。
でも本当にそうでしょうか?
心の奥を覗いてみると、そこには**“自分を守りたい気持ち”があるのかもしれません**。
謝ることは、自分の非を認めること。つまり、自分が「悪者」になってしまうことへの恐れです。
「謝ったら負け」「謝ったら自分の価値が下がる」と無意識に感じている人もいます。
でも実は逆で、謝れる人こそ強く、優しく、信頼される人です。
そして、謝れないままでいると、心は少しずつ歪み、やがて身体にも影響が出てきます。
たとえば、こんなふうに。
- 常にイライラしている
- 人間関係がギクシャクする
- 自分の感情に素直になれない
- 頭痛や胃の不調、肩こりが続く
- 夜眠れない、または眠っても疲れが取れない
こうした不調の背景にあるのは、**「抑圧された感情」**です。
謝れない人は、自分の「悪かったかもしれない」という気持ちすら抑え込もうとします。
でも、感情は抑え込んでも消えません。身体のどこかに蓄積され、いずれSOSとして現れます。
ピラティスと「ごめんなさい」の共通点
心の癖は身体にも表れます。
たとえば、謝れない人は胸が固くなりやすく、呼吸が浅くなっていることが多いです。
これは防御反応のひとつ。胸を守り、感情を閉じ込めようとする無意識の姿勢です。
ピラティスで胸を開いて深く呼吸をすることは、「私はここにいていい」「感情を出してもいい」というメッセージを身体に伝えること。
そしてそのプロセスの中で、「あのとき、ちゃんと謝ればよかったな」とふと思い出すこともあります。
そう、身体がゆるむと、心もゆるむんです。
心がゆるむと、プライドや恐れからではなく、「ごめんなさい」を自然に言えるようになります。
謝ることは、癒しであり、人間関係の再生でもある
誰かに「ごめんなさい」と言うことは、あなたが悪人である証明ではありません。
それは、人として誠実でありたいという気持ちの表現です。
謝られた方も、「自分の痛みを理解してくれた」と感じることで、心がふっと軽くなります。
言った方も、どこかで抱えていた罪悪感やモヤモヤが、スーッと解けていくのを感じるでしょう。
それは癒しであり、信頼関係の再構築でもあります。
「あなたを大切に思っています」「傷つけてしまってごめんね」という気持ちは、言葉にして初めて伝わるのです。
「ごめんなさい」を言える人に、私たちはなりたい
謝れない大人を見て育った人は、「謝らなくても生きていける」と思っているかもしれません。
でも実際は、謝れないことで人間関係が壊れ、自分も誰かも苦しみ続けている現実があります。
だからこそ、これは個人の問題ではなく、社会全体の問題でもあるのです。
特に女性は、「感情を言葉にする力」をもともと強く持っている人が多いです。
だからこそ、自分の感情だけでなく、相手の痛みもキャッチしやすい。
それは、時に傷つきやすいという弱さにもなりますが、同時に、社会に「思いやり」と「対話」をもたらす力でもあります。
そしてそれは、男性にも言えることです。
「強くあれ」「謝るな」「泣くな」と育てられた男性たちが、感情を出せずに心身を壊していくケースは、今や少なくありません。
私たち一人ひとりが、「ごめんなさい」を大切にすることで、そうした人たちにも「許されていい」「変わっていい」という希望を与えることができます。
謝ることは、負けじゃない。
謝ることは、愛と誠実さのあかし。
「ごめんなさい」を素直に言える人が増えれば、もっと人間関係はあたたかくなるし、心も身体も、もっと軽やかに生きられる。
そう信じて、今日も私は、深呼吸とともに、自分の中の小さな「ごめんなさい」を見つめています。


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